
| 友へ (告別式で) 7月21日 「勝ちゃん ちょっと早過ぎないか?・・・」 思わず 棺の中の貴方に向かって話しかけたけど・・・返事はなかったネ 最後に貴方に会ったのは 去年のOB会だっただろうか? その時「こんど岬の あなたの所へも遊びに行くよ・・・」 待っていたけど でも 約束が叶うことはなかったネ 自己主張も強く 一方でバランス感覚も持ち合わせていた貴方は サラリーマン人生を全うしたのだと思ってるよ・・・ 10数年前 新橋の居酒屋で 「貴方とイッパイやってるとき 初めて見たトルコキキョウの花が 我が家の庭でも 咲き始めたよ」 能力に乏しく 義理と人情だけでサラリーマンやってた私にとって 貴方は良き理解者のひとりだったし 精神的に支えてもらったこともあったよね 最後まで都会でガンバッタ貴方だけど 本当は田舎暮らしにも 未練はあったのじゃないのかな?・・・ 今日は久しぶりに 昔の会社仲間にもたくさん会ったヨ 会社も随分変貌したようで 残念ながら 私が愛した会社の面影は見つけられなかったネ 「時代が代わり 人の心も代わって行くのだろうけど 自分は自分らしくここ岬町で 最後の多娯作人生を全うしたいと思ってるヨ 貴方も海は好きだったよネ 私はこの岬町で多くの 気のおけない仲間と知り合い 喜び楽しみを共有し 時に助け合って生きる暮らしに 満足感と幸福感を感じてるヨ 一度でいいから ここでの暮らしを見に来てもらいたかったネ」 若くして逝った 二人の共通の友人だった阿部所長の時は 子供さんが小さかったので 悲壮感強く泣けたよネ 私と同じ浪花節で人生を貫いた 荒川所長が逝った時も むなしさと脱力感に包まれたよネ 今日棺の中の貴方に会って 何故か自分の姿を見ているような錯覚に襲われましたヨ ゴメンナサイ不謹慎かも知れないネ・・・ 生まれた年も一緒だから 私がそこにいても不思議はないのだろうけど 私自身も明日かもしれない 数年先かも知れない いずれ貴方の世界に仲間入りする日がくることは間違いないのだから・・・ 今日ご家族のお顔も拝見したけど 子供さんもしっかり成人してるし 悲しみにくれる奥さんもいずれは立ち直って 元気に人生を送るものと確信してるよ 残されたご家族のことは心配せずに 天国でゆっくり休んでください ご家族の安寧を見守ってあげてください いずれ貴方の世界で再会しましょう 先にいって良さそうな席を探しておいてください 暫くの間「さようなら」 |
| 仲間の訃報 7月20日 「わだつみ美術館」でのイベントに参加している最中 かつての部下数名から電話が入り 「Tさんが亡くなりました」 とのこと 一学年上の彼ですが 同年代を生きてきたいわば戦友のような かつての仲間の訃報に接し 様々な思い出が蘇りました。 山口県出身の彼は関西エリアで勇名を轟かせ 20代の後半に東京本社に 肩で風を切るように転勤してきました お互いに若くして営業所長になった為 20代30代の頃は営業所長会議で切磋琢磨し あるいは酒を酌み交わし 若さゆえの激論を交わし 夢を語り苦楽を共にした仲 社歴は彼の方が長かったので 頼りになる先輩であり同僚でした。 40代50代では 営業部長会議や事業部長会議などで業績を競い合ったり 会社のビジョンなど語り合ったものでした。 頭脳優秀な彼は 向上心も強く自己実現に向かって その能力を遺憾なく発揮 重職を勤めたのですが 能力も野心も不足していた私は 彼とは違う人生観で 予定通り自己実現の道へ 50代半ばで会社を去りました。 私の場合2〜30歳代の営業所長時代から 部下や後輩に対し 「娑婆の人生3万日」 と語り続け 2万日を終える55〜6歳以降は 恐らく子供も成人しているであろうから 残りの1万日は自己実現に向かって好きなように生きる 恐らく会社を去っているであろう 「その為には1万日を過ぎた今 税金を少しでも多く支払うことも含め 如何に社会貢献しながら自己実現に向かうか それが最も大切である」 そのように言い続けてきました。 時代は高度経済成長期ですから 毎日多忙で 私自身モーレツ社員のはしくれでした 仕事も遊びも人一倍 一所懸命生きてきたつもりです。 そんな訳で部下や仲間たちへの公言どおり 私は50半ばにして会社を去り 以後ここ岬町で新たな人生を歩むにあたって 過ぎた過去を引きづらないためにも 在籍した会社とは距離をおいて生きてきました。 そんな訳で 最近の情報は判らないのですが 本日訃報が舞い込んだ彼の場合 つい最近まで会社に籍を置いていたように 風の噂で聞いてました。 彼との思い出で 忘れがたいひとつに お互い未だ20代の後半だった頃 「ひとつ芸者遊びなどしてみよう」 などということになって 私が音頭をとって 気の合った所長仲間数名を集め とある料亭や 時には鬼怒川温泉まで遠征して ドンチャカ騒ぎをしたこともありました お互いに生意気盛り 恐れを知らない無謀な時代も過ごしてきました。 中年以降は好きな海釣りや 仕事からの帰りがけ新橋サラリーマン恒例 「軽くイッパイ」など 一緒に楽しんだこと 懐かしく思い出します 若い頃は豪放磊落だった彼ですが 中年になってからは禁煙したり ジョギングをしたりして かなり健康維持に気を遣っていたようです。 健康診断も満足に受けず かなり適当に生きてきた私の方が長生きするとは 世の中不思議なものです。 しっかり者の彼のことでしたから 自分なりに人生悔いなく 自己実現しつつ生きてきたことと察しますが 医療科学も発達した現代にあって 60代での幕引きはいかにせん早すぎます。 今はTさんのご冥福を 心からお祈りすることしかできません 「これを書いている今も 貴方と共通の部下たちから 貴方の訃報を知らせる電話が あちこちから掛かってきます 貴方と過ごした 青春時代の幾多の時間 幾多の思い出は忘れません 今は安らかにお眠り下さい」 合掌 |
| →このページのトップへ戻る |