古い友・昔の仲間たち
2013年7月

 日大食品工学科OB会 2013.7.6

今回もまた高校 大学と学校が同じだった石川氏が幹事役となって 
今日は
日大食品工学科の卒業以来 初めて開かれた OB会に参加



ここは高層ビル立ち並ぶ大都心 新宿センタービルの53階 

 

参加者は15名と少なかったものの ご苦労有ってこの会を立ち上げた
石川氏に感謝 貴方のお陰で 懐かしき旧友たちに会うことが出来ました


 

続いて私 岬多娯作の発声で
「カンパーイ」

 

新宿西口 今でもこのあたりで暮らす友もいた 小林クン(右下)

 

長いブランク 会った瞬間は 誰が誰やら判らなかったものの 
みんなの近況報告を聞いているうちに 大昔の学生時代に帰って
「あー そんなことも有ったよな・・・」 当時の思い出が浮かんでくる
走馬灯のごとく流れた若き日々 懐かしく 古き良き時代でした



未だに現役で社長業や 顧問的仕事などしている友もいるけど
おおかたは ひと仕事 為し終え 自由業 自遊業で気ままな暮らしが
多いようだ モチロン多娯作も 千葉の田舎暮らし ただのオッサン

 

残念ながら 亡くなった友や 重い病に伏せっている友も少なくないようだ
人生さまざま 運命には逆らえないのだろうね 心配だけど私たちには
どうすることもできないしね 友の幸せを ただ祈るだけですね・・・



当時の遊び仲間 おしゃべりで 大酒飲みの悪ガキ 岩崎も 
親友だったけどいつも 表情が暗い雲野も

あなた達の故郷 熱海へは あの頃 何度か遊びに行ったものだよな



高校も一緒だった 岸クン(上右上)が寄って来て 話しかけて来た
「貴方のことは良く覚えているよ 日大豊山高校1年で最初の統一試験が
あって 貴方は学年で1番だったよな 大きな紙で廊下に張り出されて
いたこと忘れないよ とてもよく 印象に残ってるよ・・・」

そう 私自身はすっかり忘れていたけど 500人もいた中で どういう訳か
多娯作が1番の成績でした 卒業するころは それが 最下位に落ち込んで
恥ずかしき限り そんなことも思い出させてくれました 懐かしいね・・・



大柄で ドラエモンに出て来る 気のいいいじめっ子 ジャイアンみたいな
二郎さん 
「思い出したよ あなたのことも・・・」 (下左)

 


一瞬誰だか思い出せなかった 昔は痩せててスマートだった
親友の高尾クン(下左) 随分丸くなったけど
 「会えて嬉しいね・・・」
彼は今 葛飾柴又のマンション暮らしらしい 
「今度 柴又に行ったら連絡するよ また会おうな・・・」 



深い付き合いはなかったけど 角田クン(下の真中) 貴方のことも
親友の高尾を通してよく知っていたネ 印象に残る友でしたね・・・



お勉強が よく出来た友もいれば 全くしなかった友もいる それも人生



我が食品工学科 第3研究室には 唯一女性のスタッフがいたけど
彼女が吉田クンと結婚していたなんて 知らなかったね
今は吉田夫人となった彼女の所へ電話を掛け 話をしてみた 
「オレのこと 覚えているかい?」 聞いてみた
「えー よく覚えていますよ・・・」 嬉しかったね



「今も未だ 青春してるよ 田舎の町でネ・・・・」 多娯作が生息している 
岬町の話をしたら 
「是非 遊びに行きたいよ」
そんな友も何人か出てきて 
「オイデ 歓迎するよ」



いつもホンワカ下ムードを持っていた 宮園クン 貴方とは
仕事の時代に 何度か会っていたネ 今日の幹事役の石川クンも
そうだったけど 同じ食品業界で生きて来たからね・・・



目や 足が不自由となって ハンディキャップを背負った友もいた
いずれまた 元気な姿で再会できること 楽しみにしてますよ
「皆さん お元気で・・・」

関連記事 ブログの7月6日に記載 こちらもご覧下さい
房総族「多娯作」ブログ http://ameblo.jp/misaki-tagosaku/



今日は これまで・・・


昔仲間と 恩師傘寿の祝い  09.6.20

  
 

ここは新宿 駅や歌舞伎町を見下ろす超高層 目も眩む雲の上
午後6時 今日はこれから 20年ぶり 高校時代の仲間 20数名が集り
 恩師佐藤先生 80歳のお祝いを兼ねたクラス会  
場所は新宿センタービル 53階 料亭は「築地植むら」



幹事役の3人 本当にご苦労様でした あなた方のお陰で 
先生や 懐かしい友と 再会することができました 感謝してます



「卒業以来初めて参加した」 そんな仲間もいるので 顔も名前も 
お互いに接点すら 見出せない級友も 数人いました 



佐藤先生のご挨拶 とても傘寿には見えない 若々しい声は昔のままで

「名栗の辺鄙な里から 東京に出てきて 辛い給仕の仕事をしながら 夜学に通い 
英語教師の資格を得て 以来 英国留学や講師時代を含め 50年の長きにわたり
教職にありました 同僚の先生方はほとんどお亡くなりになってしまいましたが 
こんにち 皆さん方に こんなお祝いまでして頂き感謝 感激で 胸がイッパイです」

「元気で明るかった先生に そんな苦労の時代があったなんて・・・」 
一同 初めて聞かされた話に 感動と 改めて尊敬の念を抱いたものでした。

 実は先ほど 私はこの会場に向かって 新宿センタービル広場をひとりで歩いていたのですが 矢張りひとりで歩かれていた先生を 遠く離れたところでお見かけしたのです お互いに 
「もしや?」 と思って近づいてみると それが20数年振りに出会った 恩師と教え子の再会で 「よくも 覚えておられて下さいました・・・」 
多娯作は 痛く感激したものでした・・・

 

宴が始まって 級友一同 改めて 自己紹介や 近況の報告を

  

 「浅草祭り睦会」の代表になった友も 
「私は最高齢で 祭りに参加してます」
元気で 何よりです・・・
東京でゴルフ練習場を経営し 全日本ゴルフ練習場連盟の会長職にある友も
「ゴルフに関することなら 何でも相談して下さい・・・」 そんなことも言っていた
貴方のことは はっきりと思い出したよ」 
「そう言えば 岩倉具視の孫も同じクラスだったよな
 彼はどうしてるのかナ?」

  

 親の職業を引き継ぎ繁栄させ 社長職を引き継いだ友も 趣味の音楽を生かし 
音楽プロダクションを経営する友も 新たに起業し 代表職を勤める友もいて 
皆さん未だ半数は現役で活躍している様子 
「元気で何より・・・」 嬉しいことです

  

 歯科医を開業している友も 夜の社会 一般とはかけ離れた世界 
大都会の歓楽街と 濃厚な係わりを継続している友もいて 多士済々 嬉しいヨ
「そう言えば アンタとは昔銀座でイッパイやったことがあるよナ}
「そうだ 思い出した あの頃オレも新橋で仕事してたしな 懐かしいナ・・・」

   
技術系 薬学系の専門職として 今でも日本国内を あるいは世界を飛び回っている友も 趣味の社交ダンスで 今や ダンスの先生になっている友も・・・

 

続いて
多娯作のスピーチ
「ワタシャ 学生の頃からマジメ一筋 硬派一本で生きて来たので・・・・」

思いがけずも すぐに野次が飛んできた
「嘘ツケ あんたが一番軟派で 型破りだったじゃないか・・・」
「よく覚えているゾー 未だに自分のことが判ってないナー・・・」


 「・・・そんな訳で都会を離れ 今は千葉県の海辺の町で田舎暮らし 釣りをしたり 
地曳網や漁師の手伝い あるいは また ホタルやウミガメの保護活動 
罪滅ぼしに海岸清掃 ゴミ拾いをしながら ビンボーその日ぐらしの毎日で・・・」


スピーチが終わると 数人が私の所へやって来た
「イヤー ゴミ拾いはイイネー 感激だよ 今度是非遊びに行きたい 
釣りも教えてくれ 必ず行くので 連れてってくれ・・・」 
「アイヨー いつでもオイデ」

「アンタの暮し方は最高だ 自分も早く悠々自適の暮らしがしたい 憧れるヨ・・・」
「ナニを言うか ワタシャ貧乏その日ぐらし 悠々自適とは程遠い それに引き換え 
今でも現役を続けているみんなは とてもエライと思ってるヨ・・・」


「岬町近辺は むかし仕事で回っていたことがあるので とっても懐かしいヨ・・・」

「キョーリン製薬に勤務していた貴方には 昔ずいぶんと世話になったね 
オレが南米に出張する時 色々薬を貰って行ったことがあったよな 
恩義は忘れてないよ いつでも遊びにオイデ 義理を返したいヨ・・・」
「いやお前さんには コーヒーなどを送ってもらったじゃないか 義理なんかないよ」
「貴方に会えて お礼が言えて とっても嬉しいヨ・・・」

「ボクも釣りが好きで 時々大原方面にも行ってるよ 今度寄らせてもらうよ・・・」

「アイヨ いつでもオイデ それと音楽や楽器の得意な貴方には オレが作った詩に 曲をつけてもらいたいんだ ウクレレも教わりたいし 待ってるよ 
それにしてもアンタは 随分痩せてスマートになったネ・・・」

「岬や御宿方面には 女房連れて時々行ってるよ 寿司屋に寄ったり 
先日も 太東埼燈台に行ってきたよ」

「アイヨー こちらに来たら連絡しなヨ どこでも案内するよ それからオレも 
時々浅草には行くから 次に行った時には アンタを呼び出すヨ 
浅草でイッパイ 神谷バーのデンキブランもいいな・・・」 

「アンタのホームページを見たけど いろんなことが出てくるので 
てっきり 民宿でもやっているのかと思ってたけど どうなってるの・・・?」

「仕事としては 何もしてないヨ ただ海辺でヨタヨタしてるだけだヨ・・・」 
そんな話が 次々と舞い込んできた。

先生にもお誘いしたら

「ボクはねー 運転には自信がなくなっちゃったけれど 家内を連れて 必ず
遊びに行かせてもらいますよ 近くにホテルはありますか?」
「すべて お任せ下さい いつでもどうぞ お待ちしてますよ・・・」

 

突如ハーモニカで 忘れていた校歌を奏でる友がいた 
そう言えば昔から 彼はハーモニカが得意だった
 「思い出したヨ・・・」

あちこち 思い出話に花が咲いて 先生には心づくしの記念品も差し上げ

楽しい時間はあっという間・・・関東の一本締めで この場は散会



そして二次会へ出発 
「新宿もいいけど 久しぶりに池袋にも行って見たいな 
池袋もサマガワリしてるだろうな 懐かしいな・・・」
 
すっかり 学生時代を思い出してる私たちでした。



池袋に向かった数人組とは いつの間にか分かれてしまいました 
池袋にも 未練はあったのですが・・・

ケッキョク多娯作は 新宿組の7人とブラついていたら 誰かが言った
「アンタと一緒だと 地元の親分と歩いているみたいだヨ・・・」
「何を言うか こちらスッカタギ 控え目に 昔から堅気の人生送ってるんだよ・・・」

誰かの行きつけらしい 「十徳」という居酒屋に所を定め 飲み直し・・・



それにしてもこのメンバー 結構ノンベーが多い 「これから銀座に出ようか?」 
誰かがそんなことも言っていたけど 多娯作はもうこれで十分

 

「判っているだけで 級友のうち4人が亡くなってるよ 我々も 
もう若くないし 先生がお元気なうちに クラス会は これから毎年やろうよ・・・」
「そうだ そうしよう それがいい・・・」

 「ここの勘定は Sクンがおごってくれちゃったヨ・・・」

「いや 申し訳ない ビンボー多娯作感謝です」


そんなこんなで夜が更けて 再会誓って 
夜の新宿 更けても切れない人の波 雑踏掻き分け 
家路についた仲間たち
今夜は多娯作 東京の母親宅に一宿することに致しましょう・・・

改めて 「先生のご健康を祝し 幹事役に感謝」の クラス会でした
  


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