通天との思い出
 2012.6.20


阿修羅から通天 出会いの頃を思い出して





巨大銘木に描いた 最近の超大作(部分ですが) 1枚板(5m×2m)

タイトル「現代文明の危機」 あちこちから叫び声が聞こえて来そうな
悲しくもあり 恐ろしくもある そんな力作です 2012年6月の作品

下は 東北大震災からの復興を祈願して 描いた作品



 彼は 世俗とかけ離れた世界で生きてきた画家 
私(多娯作)の親友で 通天とは 彼の雅号である

下の自画像は 正に通天そのもの そっくりに思えますね



彼女も
「この絵がいいわー」 そんなこと言ってましたね




いつもそうだが彼からくる話は 唐突 性急待ったなし 一方的
岬町の我が家に イラン人を連れてやって来た時もそうだった。
 その後 空白があって しばらくして掛かってきた電話は 

「今 ニューヨークで個展を開いているんや・・・」 


 頻繁に連絡有ったかと思うと その後バッタリ音信不通
いつも そんなことの繰り返し・・・
 
小説家の藤本義一さんも 著書の中で彼のことを
 「冬眠画家」と紹介している。

 彼との付き合いは いつも途中が切れている 言わば点であって 
継続した線にはなり難い そこで久しぶりに彼の
画集「天にいたる」を
引っ張り出し 彼の世界 彼との思い出に浸ってみました。
 
 

日本のゴッホ あるいはそれ以上かも知れない通天の画集です



 
阿修羅から通天に雅号を換え 画集を発行 
藤本義一さんの応援歌も掲載され

 
 思えば彼との出会いは もう30数年も昔の話 出会った当時の様子を 
画集の中の推薦文として私も書いていたので 改めて自分が書いた文章を
読み返してみた 懐かしさが蘇る・・・
 
 絵画の巧拙を語る資格など 持ち合わせていない多娯作ですが 
彼が創造する世界は 今でも圧倒的迫力と 何かを訴えようとする
パワーに満ち満ちています。
 非才な多娯作にも その程度の感性は持ち合わせていて 
そこに惹かれてしまうのです・・・

 

通天に長男が誕生した頃の作品ですね(上) タイトルは「アベマリア」
グチャグチャに描いているようにも見えるのですが 子供の表情にも
ちゃんと伝わるものがあるから 不思議な作品です

 

 
「人間離れした人間」 「常識では語れないヒト」
「頑健な肉体と精神の持ち主」 
「火山マグマのエネルギーと 
例えようのない純粋性を併せ持った 日本のゴッホ」
 「稀有な逸材」 

私以外にも 画集で推薦文を書いた方たちは 
こんな表現で 通天を語っていました 概ね 私も同感ですね・・・



 当時雅号を「阿修羅」と称していた彼は 瀬戸内海の小豆島から
千葉市の郊外に移り住んだ ごく最初の時代でした。

 初めて出会った時は さすがの多娯作も驚いた 髪もヒゲもぼさぼさ 
全身汗まみれ 今でいうところのホームレスの放浪人 それとも
精神の病を患っている人のように見えた 話す言葉も
途切れ途切れで聞き取り難く 何を言ってるのか正確には伝わらない 
要は 
「持ち合わせのお金は少ないけど 美味しいコーヒーが欲しい」 
そんなことを訴えているようだった それは真夏の暑い日 
30数年前のことでした。
 
 当時私は コーヒーの製造販売会社で 千葉の営業所長をしていた30代の若き日 営業マンはすべて出払っていて 事務所に残っていたのは3名の女性事務員と私だけ 応対に出た事務員が困り果てた様子だったので 
「酔っ払いが来て 絡んでいるのだろうか?」 
見かねた私が 手助けに行ったのでした。

 風貌に似合わずキラキラ輝く眼には 精悍さと併せ純粋性があって ヒトを惹きつける何かを持ち合わせていました。
 あまりにも暑い日だったので私は彼を車に乗せ 住まいらしき場所まで送り届けることにした いつものオセッカイ あるいはまた 「怖いもの見たさ」の 野次馬的根性も 多少はあったのかも知れないのですが・・・
 歩けば1時間以上かかりそうな所に彼の家らしき物があって 野菜を育て自給自足的暮らしが伺えた そこでは奥さんを紹介され スイカをごっそーになったこと思い出す それが始めての出会い。

 いくつかの絵を見せてくれ 
「ワシャ 画家なんや 小豆島におったが 
島では水が手に入らず 耐え切れずに ここへ来たんや・・・」 

 小豆島はとてもいい所 島では貝や魚を採って原始的生活 藤本義一さんが所有していた別荘地を借り そこで暮していたのですが 
最後まで島の住民から受け入れてもらえず 貴重な水を確保することが
出来なくて ずいぶんと苦労もしたらしいのです。
 
 彼の風貌 生活スタイルを見て恐れをなしたのでしょうか 
無理もない話のように聞こえます。
 ちなみに彼の出身地は 鹿児島奄美地方 その名も喜界島・・・ 

 義一さんとの出会いは 大阪で描いた絵をリヤカーに積んで売り歩き 
たまたま 義一さんのお宅へ行ったら 
「義一さんが ワシの絵を買うてくれたんや・・・」 
そんなことを聞いた覚えがあります。
 義一さんも彼から何かを感じ取ったのでしょうか それとも文筆業 
ジャーナリストとしての 好奇心 インスピレーションもあったのでしょうか?

  

   画集に載った写真  私があげたジャンパーを着てこぎれいになってます
当時 ドーベルマンやシェパードなど 飼ってましたね


 それからというもの 金も力も持ち合わせていなかった多娯作ですが 
何かにつけ彼の話し相手 相談相手になったものでした。
 私自身も彼のような自由な暮らし 田舎暮らしに強く興味を抱いていた
からでしょう 好奇心も手伝い なんやかやと・・・
 
二人で行動すれば 行った先々で奇異な目 
恐れおののくまなざしを向けられたことも度々でしたが・・・
 
 普段でも聞き取り難い彼の言葉 興にのり興奮すると 
深く自分の世界に入ってしまいます。
 
 ますますもって意味不明となってしまうのですが そこがまた
多娯作にとっては新鮮で 驚きと羨望が入り混じった一種のファンタジー 
別の星からやって来たインベーダーと会話しているような気分で・・・

 

             
当時の写真があったので 掲載します     

 ある時 「ワシャ 個展を開きたいんや・・・」 そんなことを言い出した。

 当時 多娯作には画廊との付き合いはなく 思案のあげく 
「そうだ デパートの中にも 画廊があるんだ」 仕事上で付き合いのあった千葉そごうデパートや 三越デパートへ彼を連れ交渉に行ったものの ほとんど相手にされず 津田沼パルコの武田店長だけが快諾してくれたこと 思い出します。
 武田さんは男らしい男 勇敢な人でした。

 「個展には 義一さんにも来てもらおう思て ワシャ今 連絡とっとるんや」
 大作家かつ TVで「イレブンpm」の司会などで 当時人気絶頂だった藤本義一さんが来てくれるのかどうか 半信半疑の多娯作でしたが 心配も杞憂に終わり個展の当日 本当に現われたのでした。
 多娯作も感激 カッコよくてその上 直木賞作家 女性にモテモテ 
とても羨ましい存在。

 モチロン出演料などなく 阿修羅応援の為の来店で デパート内は騒然 
武田店長も大喜び お陰でお世話になったパルコデパートに対し 
ご恩返しが出来ました。
 
 これが関東での 最初の個展でした・・・

 

 
岬の我が家に飾られている30号のこの絵は 津田沼パルコに展示してあったもので 個展終了後 私が購入したもの  

 彼と出会って いろいろなことがあって 
「藤本義一さんが関西の応援団長なら 多娯作は関東の応援団長になってやろう お金はないけどね・・・」 
そんな思い上がった考え方を持っていた時期もありまして 知己に依頼 
アッチコッチで個展会場のお世話もしました。
 半面で 
「あんな性格だから 何をしでかすか心配だ」 
ヒヤヒヤドキドキしたことも 数え知れず・・・ 

 鳥を描きたくなると 数百羽のニワトリや軍鶏を家で飼い始めた 
何事にも没頭 集中しないと気がすまない 一途な人間ですから・・・
 
以前は花の絵はあまり描かなかったのですが その後ゴッホを意識したのか 超越しようとしたのか ヒマワリの絵もたくさん描いてます。

 



 
上の女性は 我がカフェ「多娯作」に飾られています。 花を描いたものでは 比較的あっさりと描き上げた下の絵が 私はとても気に入ってます。
 
その間いくつかの個展をこなし いつの間にか海外へ出かけたりしてましたが 私も仕事上 転勤などあって 音信不通の時期もありました。
 
 1999年銀座地球堂ギャラリーでの個展の案内が届き オープニングパーティには義一さんも 美人女優などお連れになってやってきました。
 当時横浜の事業部勤務だった多娯作も 数名の部下を連れ 銀座へと出掛けたものでした。 


 
 華やかな時代 通天と雅号を換えた彼も 身奇麗に こざっぱりと
身支度整え 良き時代でした 多娯作にとっても嬉しいことで 
感慨深いものがありまして・・・ 


 
銀座のギャラリーで(上)



   「魚の絵が欲しい」 私のリクエストに対し 珍しく
水彩を使って描いた絵 これも 私の部屋に飾ってあります。


 通天が投げ掛けるメッセージは 時に不可解 
「思想が 行動を追い越している」と表現する人もいます 人間としての原点に想いを馳せる人も 
宗教を想う人も 時に不気味と感じる人も あるいはまた
「そんな荒唐無稽な・・・」 戸惑う人もいます。

 その後通天 アッチコッチで活躍と放浪 冬眠と活動期の繰り返し 
ニューヨークなどにも 放浪遊学したようです。

 天与の才と 狂気のハザマを彷徨する画人通天・・・既成観念 常識的価値観から外れた彼の画風や生き方は 日本国内より むしろ アメリカを中心とした自由な国 海外で高評価を得ているようです。
 
 多娯作は思います 
「ひとりでも多くの方に彼の絵を見てもらいたい 
熱気と ソウルフルな作品に出会ってもらいたい 
そして何かを感じてもらいたい」
 と・・・

 藤本義一さんにも教えていただいたことがあります 
「文章は簡潔でなければならない 意図するところを 少しでも少ない字数で書き表すことが重要です」 そのような趣旨の話でした。
 以来 文章を書く時には 義一さんの言葉を思い出しつつ
書いているつもりですが マダマダですね・・・


   

藤本義一さんから届いた色紙(下)

  


 追筆
 これを読んで下さった義一さんから連絡あって
「簡潔でいいけれど もう少し詳しく書いた方がいいのでは・・・」 
ということで 以前書いたものに少し加筆しました。

                                   岬 多娯作

         

 
 
inserted by FC2 system