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詩&ひとりごと
        春を探して今日もヨタヨタ   08.3.27
 
 いい季節が巡ってきて、天気が良い日は家の中にいるのが勿体ない海の匂い、花の香りを探し、当てのないドライブ&ウォーキング・・・、

  

       白砂青松の御宿、御宿といえば月の砂漠が欠かせない 

 

     紐で結んだ銀のかめを後ろに下げたお姫様は、こんなお顔をしています

 

  メキシコ塔  江戸の昔、遭難したメキシコ船を地元の漁師たちが
            救助したことから、御宿とメキシコは友好関係にあるのです。



             木イチゴの類でしょうか?

 

    花だか実だか判りませんが、この木は一体、何んでしょうか?
 
 

            ソメイヨシノとヤブツバキでしょうか・・・

 

             ヤマザクラと、白いモクレンが満開でした

    

  御宿小波月の海岸、潮風に削りとられて断崖絶壁、小島の上にはウミウが休息中

    

   御宿岩和田から、大原方面岩船にかけては男性的な海岸線です
         大勢の神様たちが乗った船が座礁した、と伝えられている、釣師海岸

 

       このあたり、磯の香り、海藻の香りが強烈です



         海に突き出た岩舟地蔵尊、これは珍しい風景です

 

 

  斜面が多い海岸線には、岩盤を繰り抜いたトンネルが、あちこちにあります
           トンネルをくぐった先に海岸線が見える、これもよくある風景です

 

 岩舟にある日蓮宗の光明寺というお寺さん、人一倍信心深い訳ではないのですが、神社仏閣には、伝統的建築様式や、彫り物、仏像などが残っているので、それらを見るのが楽しみなのです。

 



 花の色は違うのですが、ツワブキと形が似ている草花、なんという名前なのでしょうか?
  春の色や匂い、春を体で感じたくて、ひとりフラフラ尋ね歩いた海岸線でした。

             
              悲しい知らせ  08.3.13

 電話で、「娘が亡くなったよ・・・」 沼津に住む学生時代の友人Kが憔悴した声で話し掛けてきた。

 悲しい知らせに掛ける言葉もみつからないが、せめて「これから人生やり直すつもりで、元気を出せよ・・・」その程度の慰めしか出てこない。

 思い出すと今から30年近く昔の話、当時K夫妻には男の子がひとりいたが、二人目は女の子が生まれとても喜んでいた。
 学生時代の印象とはすっかり替わって、今やとても子煩悩な父親になっていたのでした。

 ある日我が家の二人の子供を連れて沼津まで遊びに行きました、ロープウエィに乗ったりして、観光させてもらい帰宅して数日経ったころのこと、K夫妻は共稼ぎのため娘さんを保育園に預けていたのですが、保母さんが目を放した隙に、娘さんが池に落ちてしまったそうです。
 ところが保母さんはそれに気がつかず、発見されたのは長い時間が過ぎてからのことでした。
 慌てて助け上げ救急治療を施し、一命は取り留めたものの、以来娘さんは意識が戻らず、植物人間になってしまったのでした。

 両親の落胆振りは想像を絶するものがあり、以来K夫妻は意識が戻らぬまま入院生活を続ける娘のため、毎晩夫妻のどちらかが病院に泊り込んで看護をする、といった苦渋の生活を強いられることとなりました。

 あれから30年近くの月日が流れ、寝たきりの娘さんは、一度も意識が戻ることなくあの世に旅立たれたのでした。

 事故から20年ぐらい過ぎたころ、Kと話をしたことがありました、「娘さんのことも勿論大切だけれど、時には夫婦二人の生活も大切にした方がいいんじゃないの?・・・」そんな意味のことを言ったところ、即座にKは、「自分の子供なんだから、どんなことがあっても見捨てる訳にはいかない、毎晩夫婦のどちらかが隣で寝て、いつか必ず回復すると信じているんだ」

 K夫妻は幸いにも地方公務員だったので、時間的にはある程度恵まれていたのかも知れない、私が勤めていた民間企業だったら、とてもそこまでの看護が出来たかどうか、自信がもてない。

 いや、そんなことを超越してK夫妻の、親として人間として、子を思うその信念、言動に頭が下がり、不用意な発言をしてしまった自分を恥じ入るばかりでした。

 この世に生を受け、人間として生きられたのは1000日という短い時間、以後主張することも行動することも許されない一万日を生き、そして旅立った娘さんでした。

 この世に矛盾と不公平が満ち満ちていることなど、知らない私ではないけれど、身近に起こった不幸と、不公平、それに抗うことなく立派に親としての勤めを果たした友人K、改めて「あなたは偉かった、人間として、とても尊敬するよ、もしも立場が逆で、私の身に降りかかった不幸であったら、自分はあなたのように強い意志と信念をもって、あなたの真似ができたかどうか、とても自信は持てないと思うよ」

 電話口でKは言ってました「娘が生き甲斐だったんだよ、気が抜けて人生の張り合いが無くなってしまったよ」 

 「落ち着いたら是非、岬の我が家にゆっくりと遊びに来いよ、二度目の人生これから始めるようなつもりで、語り合おうじゃないか、本当にあなたは偉かった、人生マダマダこれからだよ」

 今はただ、「せめて、あの世で安らかなれ」それを祈るのみです。  合掌




          仲間&家族  08.3.2

     

                  千葉城(猪鼻城)

 過日、千葉市にある千葉城(猪鼻城)に行った際、ある石碑が目に留まった、石碑には次の文字が刻まれていた、「教師とは、悲しきものか、老いつつも、ひとりひとりの児ら、忘られず」 我が仲間にも、数名の教職者がいます。
 私自身は教職にあった訳ではないのですが、その心境は理解できるような気がします。

 昨日は、同じ職場にあってかつての部下だった後輩から電話が入り、「会社を退職することにしました」 とのこと、退職を思いついた経緯等、詳細は判らないものの、
私自身職場を去って7年にもなるのですが、かつての部下や仲間たちのことはいくつになっても気になるもので、教師の心境と重なるものがあるのです。

    

         
           万木城公園

 
続いて向かったのが万木城公園、ここも無人の公園で、客は一人もいなかった、いかにも「とりあえず作ってみました」というような、小さなお城ですが、展望台を兼ねていて、ここから岬の海も見渡せるし、平野部分の眺めもなかなかのもの、野鳥もたくさん鳴いていて、のんびり出来る所でした。 愛犬リクも、思い切り走り回って良かった、良かった。
 

 

白梅、紅梅が咲いていました、誰もいない静かな公園 展望台からの眺めはナカナカ

  

            
 
         続いて向かったのは大多喜城

 
城下町大多喜は小江戸とも呼ばれ、江戸時代の建物を再現させた商店もあって、風情豊かな町、ここの高台にもお城があって、こちらは万木城とは違って、かなり立派なたたずまいを残しているのです。

 

 お昼になってお腹がすいたのですが、犬連れで入れそうなお店が見当たらないので、お弁当を買って、城内の公園でいただきました、まだちょっと寒かったのですが・・・ 

 

  

   枝垂れ梅がきれいでした  土産物店に入ったのですが、特に買いたい物も無く



    我が女房、「娘と、愛犬リクと一緒にいる時が一番楽しい」 そんな一日でした。

         父親の50回忌  2008年2月16日

 早いもので、私の父親が亡くなって今年で49年(50回忌)、東京は本郷の西善寺に親族が集まってくれ、思い出話で一時を過ごしてきました。
 50回忌の法事が出来るということは、故人が若くしてこの世を去ったということと、残された私たちが、そこそこ長生きしてきたということになるのでしょうか、いずれにせよ数少ない親族ですが、遠くから駆けつけてくれた方もあって、無事法事がとり行われ我が母親にとっても、心の区切りがついたということになるのだと思います。 



 

 
                               40代でこの世を去った、我が父親

 

 

       久しぶりに皆さんの元気な姿を拝見し、我が母も喜んでおりました

 

     

     

            ご出席下さった皆様方に、心より感謝申し上げます。
     明日の記憶」 という映画を見て  2007年7月1日

 
渡辺謙と樋口可南子という二人の名優が夫婦役となって、ある日突然襲ってきたアルツハイマー病に侵され、苦闘する夫婦の人生ドラマでした。

 現役バリバリの営業部長、全くの仕事人間だった主人公が、徐々に物忘れが激しくなって、ついには仕事の続行すら不可能となり、退職してゆく姿は「あれほどの人間でも、あのようになってしまうのか・・・」そう考えずにはいられない。
 彼ほど優秀でも、男前でもなかった私ですが、同様に長い間営業職の世界に身を置いてきた私にとって、とても身近に感じる役柄設定、このアルツハイマー病というのも確たる原因が特定できず、すべての人間が羅病する可能性があるらしい、と言うことは自分にもそんな日が・・・「明日は、我が身」 誰にも、否定出来ないことでしょう。

 脳が萎縮し、記憶が薄れ、最後には、やさしく支えてくれる自分の妻でさえ認識出来なくなってしまう場面で、このドラマは終わってました。
 「その先のことは、皆さん方それぞれが、お考え下さい」と言うことでしょうか?

 私が彼の立場であったら、恐らく自暴自棄となって、人間でいること自体を放棄してしまう可能性の方が大きい、強く生きる自信は全くない。

 生まれながらにして目が見えない方、脳に欠陥を持った方、何の罪もなくこの世に生を受けながら、初めからハンディキャップを背負った方も無数におられます。
 また、清く正しく、ただひたすら一所懸命生きてきたにも係わらず、ある日突然、身に余るハンディキャップを背負わされた方もいます。
 
 逆にミートホープ社の不正牛肉事件のように、「発覚さえしなければ何をやっても許される、あるいは何をやっても構わない、自分さえ良ければそれで良い」 そんな企業や人間も無数に存在することでしょう。
 あんな事件は、氷山の小さな一角に過ぎない問題であって、これからも類似した組織や人間が、堂々と罷り通っていくことでしょう・・・

 この世は不公平に満ち満ちて、青臭いと言われるかも知れませんが、王道の存在を待望しても、必ずしも正義や人情が全てに優先されると言うこともない訳です、それが人間の社会、我々の生きている世の中なのでしょう・・・

 仏教にしろ、キリスト教にしろ、宗教の世界では「このように理解しなさい」、答えを持っているのかどうか私には判りません。
 愚かに老いて、小さな存在にしか過ぎない私には、何の答えも出せません。

 「明日の記憶」という映画を見て、自分なりに思うのは「明日のことは判らなくても、今日を、今を一所懸命、悔いのないように生きなさい、身近な家族を大切にして生きなさい」 と言うことに尽きるのでしょうか・・・ 
            七夕飾り  6月 20日

 いつもの気まぐれ思いつき
、七夕様が近付いて、何か結んで飾りたくなって・・・

    
     
七夕で  子供に戻れた  ポプリの夜

 
初めてポプリの皆さんと出会った夜 「♪ ささの葉 サーラ サラー 軒端に揺れて お星様 きーら きらー」 素直な子供に帰って、忘れかけてた、「遠い日のうた」を歌いました。 


     
風に乗り  潮騒わたる  麦の秋

 
麦秋、ばくしゅう、いい言葉ですね、日本語のもつ素晴らしさだと思います。
 
このあたりでもチラホラと、「実りの麦」が 見られる季節となりました。


   
 
      
ウミガメの  戻れし浜は  痩せ細り

 
いすみの海岸は年々砂がえぐりとられ、ビーチが小さく痩せ細っています。
 ウミガメも、安全な産卵場の特定に苦労しているようです。
 ウミガメは、季語ではないのでしょうか?ワカリマセン・・・


     
     
遠い日の  提灯行列  浴衣下駄
          
(ちょうちんぎょうれつ  ゆかたげた)
 
子供の昔 東京の下町では、夏になると小さな提灯にローソク灯して、町内をそぞろ歩くそんな風習が残ってました。
 
少し年上 近所のおねえさんに淡い恋心だか、憧れだか、そんなものを抱くようになったのもこの頃でした、今でも浴衣すがた、素足に下駄履きのお姉さん方に出会うと、「遠い昔に戻れそう」 そんな気がします。


     
空梅雨の  岬の海に  天の川

 
俳句の師匠である小倉さんに見てもらったところ、空梅雨天の川も夏の季語、季語が二つ出てくるのは良くないそうです・・・納得です。


     夏雲に  祖母の笑みあり  三軒家 (日在浜)

 
こちらも、小倉さんによると、地名である三軒家の浜は、知名度が低いので、「日在浜の方が良いのではないか?」 とのこと、こちらも至極納得です。
 天気が良い日に、砂浜に寝そべって流れる雲を眺めていたら、遠い昔に彼岸へ渡ったおばあちゃんの顔になって、無性に会いたくなってしまった、そんな想いを詠んだものです。


     夕凪に  家族のしあわせ  祈る浜

 
去年大病した妻や、嫁いだ娘、私と一緒で不器用な生き方しか出来ない息子、年老いた母親や兄弟たち、家族みんなの幸せを、太平洋に向かって祈った日もありました。
      
       「
ビーチクリーンアップ岬」 のミーティングで 6月7日

 「海と釣りが、こよなく好き」 ヨタヨタ歩きの多娯作は、そんなオジサンです。
 
海岸清掃の事前打ち合わせでとても悲しい話を聞かされました。

「最近このあたりの海岸では、釣り人が捨ててゆくゴミが、目に余るものがある。
   釣り餌屋や釣り道具店にも協力してもらって、少しでもモラルの向上を啓蒙したい・・・」
 
                                            そんな内容でした。
 
 多娯作も釣り人の一人として責任を痛感、思い当たる実体験持つだけに、とても悲しい気持ちになりました。

 多娯作がこの地に住み着いて、地元の釣り仲間が出来て、一緒に釣りに行くようになって、先ず驚かされたのは、海を単なる「遊び場であり、かつ搾取の場、或いはまた、ゴミ捨て場」ぐらいにしか思っていない人が周りに満ち溢れていたことでした。

 私たちが浮かぶ船の周りには、飲み干した缶ビールの空き缶や、ビニール袋が漂い続け、船内にもナイロン糸や不用物が散乱、それがまた風に煽られ海へ飛んでいく、いつもそんなことの繰り返し、私の心の中は、「洋上に身を置く幸せ半分、同時に海を無意識に汚し続ける仲間たちと、同じ船に乗っていることの悲しさ半分」 暫くは辛い葛藤の日々でした。

 見るに見かねる状況に、一人一人話をして、想いを伝え、何とか行動を改めてもらうまでに数年罹ったこと、今でもしっかり覚えています。
 常に海や自然が身近にあって、自然の中で生きてきた彼らにとって、「意識して自然を守る」 などという考えが浮かんでこないのは、ある種やむ終えないことかも知れません。
 無意識の行動ですから責められないのかも知れません、でも多娯作にとっては「とても悲しいこと」でした。
 
 「海が好き、自然が好き」で、熱心に環境保護に取組んでいる方は、東京方面から住み着いてきた方の中にも、たくさん見受けられます。

 化学合成品が氾濫する現代は、自然の浄化能力をはるかに越える不純物が溢れてます。
夷隅川の土手を散歩すると、釣り人たちが捨てていったゴミが散乱、散歩の度に拾って返るようにしてはいるのですが、一人の能力には限界があってイタチゴッコ・・・天に向かってつばを吐くようなものか?エクスキューズで自己弁護・・・

 最近は「釣りへの想い」 が冷めつつある多娯作ですが、ひとつの理由として同じ趣味を持った人たち(一部の人ではあるのですが)、「われ関せず的に、平気で海を汚し続ける人と出会うことに、堪えられない」 そんな思いもあってのことでした。
 冒頭に語られたあるスタッフの発言は、重い意見で、私自身釣り人の一人として大いに反省し、考えさせられたものでした。

 無意識的に海へゴミを撒き散らかしていた人にこそ、今回の「ビーチクリーンアップ岬」イベントに積極的に参加して欲しいのですが、逆にそういう人に限って、こんな催しには出てこないものかもしれません、ザンネンながら・・・

 サーファーの世界でも似た様な現象は起こっていて、禁止されているエリアでバーベキューなどやって、ゴミや油を撒き散らして帰る心ないグループもたまに見かけます。
 海を愛し、モラルをわきまえたリーダーが、リーダーシップを発揮しているグループにあっては起こりえないことではあるのですが、若者たちが残していった酒類のビンや缶、花火の残骸など、「出来ることなら見たくない」ものなのです。

 当日ビーチに来るといつも思います 「今日もたくさんのサーファーたちがやってきてくれた、とても嬉しいな、同じぐらいたくさんの釣り人が集ってくれたら、もっと嬉しいな・・・」
 
 サーファーには、心から海を愛する人、ボランティア意識を強く持った人がたくさんいるのです。

 残念ながら、釣り人グループの組織的参加は、殆ど見当たらないのです。
 
 個人でもケッコーです、多くの釣り人たちの参加、心から念願します、
                                 私も、釣り人の一人として・・・
 
     
     珍しく風邪をひいたらしい、銀歯も取れた 
6月4日

 
岬暮らしのこの数年、風邪をひいたり病気らしい病気に罹ったことがな、くハッピーでした。
 不規則な食生活、怠惰で気ままな暮らしのお陰、それが良かったのでしょうか? 


 そんな多娯作でしたが、昨日からちょっと体調不良、くしゃみと鼻水、どうやら風邪をひいたらしい・・・ あれこれ原因を考えてみた

 1 5月31日から自宅に戻り、この数日女房の手料理で規則正しい食生活に戻ったからか?
 2 久し振り、電車(京葉線)に乗って、人込みの中に身を置いたからか?
 3 電車で帰った夜、遅く帰り、冷めてしまったぬるい風呂に入ったのが原因か?
 4 このところ、ケッコー多忙だったのですが、歳の所為か早朝の4時か5時には目が覚めてしまい、結果的に睡眠時間が短く、疲れが残っていたのか?

 いずれにせよ大して熱は出ていないようだし、症状は軽いのですが、「やはり、何をおいても健康が何より・・・」 「気ばかり若ぶっても、体はもう、若くはないのだな」
 そんなことを思い起こす意味にあっても、時には軽い病気に罹ったほうが、結果的に 「一病息災」 長い目で見れば 「健康的な生活」 ということになるのでしょうか・・・(ひとりごとでした)

 
そんな訳、家でグズグズのんびりしてたら、虫歯に被せていた銀歯まで取れてしまった、久し振りに歯医者にも行かねばならない。
 近所の吉田歯科の先生は、冗談好きの面白い先生、今まで出会った歯医者の中では治療後の長持ち具合が一番で、私にとっては名医だと思っている。
 そんな先生だが欠点は、治療中にもいろいろ冗談話を仕掛けてくること、こちらは大口開けていて、満足に応酬できる状況になく、ハンデを背負った戦いになること必至である。 
 「負け戦覚悟」 吉田先生とも勝負してきましょう・・・
 
             
                      リクと散歩  
5月10日


  

 

 

 
           
          嫁ぎ行く日
  4月30日

 いつになっても腰を上げようとしない娘に、内心ほっとしながらも、「人並みに、一度くらいは結婚生活を経験して欲しい」 と、 やや複雑な心境ながら、いつもノーテンキな父と母でした。

 昨年我が女房がくも膜下出血という大病を患い、お陰さまこの5月で退院からマル一年が経過、順調に回復したことも引き金のひとつになったのでしょうか、やっとのこと我が娘も結婚に踏み切る決断に至ったようで、ナガーイ春だったようです・・・
 
 

 娘にとって母親と離れることは何よりも辛いこと、あるいはそれと同等に可愛がってたリクと別れることは断腸の想い、別れの朝、万感の想いを込めて散歩、いつものように手足を洗って、いつになく念入りに毛づくろい、父親の入り込む余地はどこにもありません。

   

 馴れ初めは職場恋愛、建築関連会社、東京の本社勤務時代に知り合ったらしくよくある話、この春から彼は、広島の営業部に転勤になったことが、直接の引き金となったようです。
 そんな訳で、我が娘も悩んだ末に、広島へ嫁ぎ行くことを決心、初めは「リクも連れて行きたい、お母さんも・・・」と言っていたのですが、それに関しては私たちが反対したこともあって、泣く泣くリクと離れる決心をしたのです。

 新郎の晃クンは「大学時代バレーボールで活躍していた」という体育会系の好青年、私は未だ一度しか会っていないのですが、今時の若者らしくない礼儀正しくバンカラ的なところが気に入って、嬉しくなったものでした。
 逆にミーハー系の我が娘は「無骨で、亭主関白的なところがイマイチ・・・」などと生意気なことを言っているのですが、不肖多娯作としては、「娘にはモッタイないような相手じゃないか、東証一部上場企業ならば、少なくとも簡単に倒産することもないだろうし・・・」などと、相変わらず意見も対立、それはともかくとして、息子が一人増えることになって、メデタク 嬉しきこの春です。

 晃クンの出身は九州で、現勤務地が広島で、本社が東京で、そんなことが重なって、披露宴をどこでいつするか? 細々としたことは何も決まっていないようです、「そんなこと二の次、いつでも、どこでも焦ってすることもないだろう・・・」 我が家の意見は「新郎にすべてお任せ」そんな気分です。

 そんな訳で「花嫁の父」としての実感も殆ど沸いてこない多娯作ですが、母やリクと別れる悲しさでメソメソしている娘を見ると、人並みに多娯作ももらい泣き、ガラにもなくホントは涙腺がゆるいタイプゆえ、正視することが出来なくなってしまうだらしない人間です。
 昨夜は、娘が子供の頃の写真を引っ張り出して、ひとり感慨にふけった岬の夜でした・・・。

 願わくは、いつか関東近県に戻ってきて新たな息子と海の上、「一緒に釣りに行けたらイイナ・・・」そんなことを夢にみている多娯作です、その際は女房と娘の連合軍なんかはほっぽらかして、男同士で・・・・。

 この日「羽田のエアポートまで送っていこう」 張り切っていた父親でしたが娘が猛反対、我が女房も「泣き出して、止まらなくなるから、よした方がいいんじゃない・・・」 そんな訳で車で送ったのは近くの駅まで、別れ際、交わした言葉は 「元気でやれよ・・・」 もうそれが精一杯、それ以上話すことなんか出来ません、ハンドルの先の景色も見えなくなってモーダメ、とても他人にゃ見せられない、男多娯作カタナシの車内・・・・

 夕方になって、我が女房が「無事に着いたって、メールが入ったわよ、部屋にこんな手紙が置いてあったわよ」 
「そうか、とりあえず良かったナ、娘を盗られたのじゃなくて、息子がひとり増えたと思えばいいんだよな・・・」


激流中国 「超格差社会の壁」を見て NHKスペシャル4月1日 夜9時
 
 ケ小平が提唱した開放経済政策は、中国社会に新たな富裕層、新貴族と呼ばれる億万長者を生み、一方で地方の貧民層は年収10万円にも満たない所得、故郷で生計成り立たず、心ならずも家族と別れ都会へ出稼ぎに・・・

 富は高い方へ高い方へと流れ、貧困層は病気になっても働き続け、病院すら行くことが出来ない、そんなドキュメント番組だった。

 貧しい家庭で育った子供たちは、須らく純粋、「大人になったらどうするか?」 という質問に対し 「パパ、ママに恩返し、少しでも親を楽にさせてあげたい、幸せな暮らしをプレゼントしたい、その為に私は勉強を頑張りたい」と、答える。

 親の七光りで富裕になった人種もいれば、貧困を克服して富裕層に成り上がった人種もいる、いずれの富裕層も貧しい人たちには目もくれず、あくなき利益の追求、更なる金儲けに明け暮れる、中には贅沢の限りを尽くす人たちも・・・
 貧しき人たちは限りなく貧しさの中へ、中国における格差拡大は、私のような凡人の想像をはるかに凌駕している、そんな番組構成だった。

 すべての中国人民がこの番組の通りだとは言えないだろう、「大地の子」 に出てくるように、敵国日本の孤児を育てるような、心優しき人民も沢山いるものと信じたい。

 現代の日本も、格差社会が広がりつつあるという、しかしながら中国などと比較すれば、圧倒的に恵まれている、もしも自分が中国や北朝鮮の貧困層に生まれていたとすれば、間違いなく今のような生活を送ることは出来なかったと思う、間違いなくこの歳まで生きていなかったと思う。
 年毎に殺伐としてくる現代の日本社会、それでも 「日本に生まれた幸せを、感謝せずにいられない」

 これまでの人生 「自分なりに努力してきた」 などと言ってはみてもそんなものは、自分自身の甘さ、生ぬるかった生き方を宣言しているようなもの、そんなふうに自戒させられる番組でした。

 この世に本当に神様がいるのであれば、そんな不公平を少しでもなくしてもらいたい、世界から貧困を追放してもらいたい、他力本願ながらそう思う、真面目にひたむきに生きる中国の貧困層に、公平と幸せを分けてあげてもらいたい。

 現代中国の指導者や、共産党の高官だって、かつては貧しさの中で生きてきた人もいる筈、それが指導的立場に立つと、私服を肥やし賄賂や横領に明け暮れるのが、一般的な状態らしい・・・

 我が子を含め、貧困、真の貧しさを知らずして、不平不満に満ち満ちている日本の若者たちに、是非見てもらいたい番組でしたが、そういった若者はこのような番組をほとんど見ようとしない、現実を知ろうとせず、広く世界に目を向けず、相変わらず不平不満、欲求の海の中で暮らしている、それが現実・・・

 自分を含め、人間の真実とはそんなものなのだろうか? そうじゃないと信じたいのですが・・・

     

   「健康の有り難味は、健康な人には分からない」 2月

 言い方、言葉は違えど、上記と同様の趣旨の諺や、言い回しがたくさんあります。
 
 我が身を振り返って、生死に係わる事故はあっても、大病で入院した経験はなく、「本当の意味で、健康の有り難味を理解していない」そう言われても、仕方のない生き方をしてきたと思います。

 昨年、妻がくも膜下出血という重病にかかり入院生活、全く予想もしていない事態に、恥ずかしながらうろたえるばかりでした、だらしないこと、この上ない・・・

 何もかもすべてが健全な人など、滅多にいないでしょう、「一病息災」と言う諺も納得のいく教えです。
 女房に限らず母親や子供も、それぞれ何らかの疾患を背負っており、田舎暮らしとは言うものの、妻の検査通院に同行したり、母が暮らす東京にも時々行って、及ばずながら、日常生活手助けの真似事をしてきます。
 何もしてあげられませんが、癌で治療中の友人もいます。

 親族に限らず、長いこと人間をやってると、昔の仲間や先輩方の悲報を聞かされることが多くなったこの頃、生に対する執着心が特に強くなくても、生ある限り、「健康で生活したい」というのは万人の願いであり私とて、例外でありません。

 重い病気に罹ると、肉体的精神的苦痛は勿論のこと、経済的金銭面での出費も生活を脅かします。

 「健康には運動が効果的」それは全くその通りだと思うのですが、「分かっちゃいるけど続かない」のが運動であり、また何処から見ても健康そのもののスポーツマンが、実は大病を抱えているなどと言うこともタマに耳にします。「運動さえやっていれば万能」と言う過信も危険なのでしょう。

 既に病気やケガで、スポーツや運動をしたくても出来ない体になってしまっている人も、私の周りにケッコウいます、気の毒だとは思いますが、どうしてやることも出来ません。
 
 癌が恐ろしい病だと言うことは、誰もが知っている事実ですが、癌に限らず脳にある血管の病気も非常に恐ろしく、私の周りにもたくさんの方が脳血管の病で倒れています、「明日は我が身」誰にも避けて通れない現実です。高齢化社会の今、日本国民全員が持つ不安でしょう。

 私の妻も病全快とは言えず、一人での外出には不安の残る体です、「一日も早く元の体に戻してあげたい、いつか二人で旅に行きたい」願望だけは、強くありますが、方法については昨年来模索している多娯作です。



     
       
      カラスウリの花
         平成 18年9月4日


  1
   
     月夜に咲いてる  カラスウリ  ひっそりぼんやり  ほのかに白く

     闇夜に咲いてる  カラスウリ  闇に染まらず   清らに咲いて

     日向で咲けない  カラスウリ  何故かはかなく  淋しげに

  2
 
     
 今日は咲かない  カラスウリ  明日を夢見て  静かに眠る

     今日は咲かない  カラスウリ  ひとり耐えてる  孤独の夜

     季節の変り目  待ちわびて  いつか実となる  その日まで

  3

     今は見てくれ  夜の花   秋の日浴びて  あかねの実

     大きく大きく  ふくらんで  今が季節と   燃え上がる

     冬の北風  なんのその  夏の孤独に   耐えた花

     
     カラスウリ  カラスウリ   孤独の夜に   耐えた花



   

  
       
       オリオンぼし(星)    
平成 18年9月4日
  
  
 1 

     子供の昔に 教えてくれた 姉さん指差し 教えてくれた

     あの三ツ星が オリオン座 北にぽつりと 北極星

     父さん逝って 貧しくて 母さんひとり 女を捨てた

     何はなくても 星空見れば 明日の希望も 沸いてきた

   2

     あれからいつも 屋根の上 ローソク片手に 星座を探し

     大犬小犬に ヘルクレス 夏の夜空の 天の川

     わがまま言って 親泣かせ 好きで生まれた 訳ではないと

     時は流れて 幾星霜 オリオンぼしは 心の友さ

   3

     この歳がきて 思うのは 母さん姉さん ありがとう

     お陰で少し 世間も知って 詫びる心も ままならず

     気ままに生きてた 昨日今日 せめてこれから 苦労をかけず

     そうは思えど 口には出せず いくつになっても 孝行できず

     せめて言いたい ひとことを 貴方の子供で 良かった私



    いすみの里へ   
平成181031


  1

戦い疲れた 昭和の戦士 ここにおいでよ よろいを脱いで

戦い疲れた 企業の戦士 ここにおいでよ 戦い止めて

走り続けた 昭和に平成 競い合ってた 昨日は去った

疲れた心も いすみの里で 水に流して 明日を生きよう  
 
  2

いいじゃないか 昭和の戦士 お陰で日本も ここまで来たよ

いいじゃないか 企業の戦士 お陰で家族も どうにかなった

昨日の敵も 今日から同士 勝った負けたは 昔のことさ

海山友とし いすみの里で 仲間も作って 自然と生きよう

3

お疲れ様です 昨日の戦士 咲かない夢も あるにはあった

お疲れ様です 昨日の戦士 理想どおりにゃ いかないことも

悔いはあっても それでも人生 これから残りは 思いのままに

 都会を離れて いすみの里で 新たな楽しみ 一緒に作ろ



 俳句 (の、つもり)

   東風吹いて サーファが飛ばす 白い夢

  
                       
         白い花
の方がいいかも 
 
     梅香り 伊八偲びに 行元寺

    

           
       里の夕焼け     平成18年 10月31日


     里の夕焼け 恥ずかしそうに 遠い昔に 帰れる日暮れ

     歳を重ねて 愚かに老いて 悔やむ想いがあればこそ


     里の夕焼け ほのぼの染まり 人生なんて 語れはしない
 
     さがした答えも みつかりゃしない 夕焼け雲に 聞いてみる


     里の夕焼け 真っ赤に染まり 生きてる証を 教えてくれる

     何はなくても 夕焼け見れば 心静かに 生きられる


     里の夕焼け 真っ赤に染めて 明日の希望を 運んでくれる

     はかなくしぼんだ 昨日の夢に 新たな夢が 沸いてくる


     里の夕焼け 茜に染めて 小さな幸せ 夢まで染めて

     あなたといれば 心も晴れて 明日に向かって 歌も出る

   



    

             好きなもの
      1
        私がとっても 好きなもの 海辺の町で 好きなもの


           春を知らせる イヌフグリ 田んぼのあぜで ひっそりと
    


        私がとっても 好きなもの 岬の町で 好きなもの

           夏の終わりの 朝の海 人影消えた 青い海     

                                     
  
                          
        私がとっても 好きなもの 海辺の町で 好きなもの  

           秋の初めの 虫の声 ひとり聴いてる 恋の歌


        私がとっても 好きなもの 岬の町で 好きなもの

           冬の寒さに 耐える花 風に向かって 開く花


     
3
        私がとっても 好きなもの 海辺の町で 好きなもの

          西の夕暮れ 白い雲 やがて茜に 染まる雲

   
        私がとっても 好きなもの 海辺の町で 好きなもの


           日暮れに赤い いちばん星 やがてキラキラ 銀の星
  

 
   4
        私がとっても 好きなもの 海辺の町で 好きなもの

           夜の灯台 回転灯 廻りて照らす やさしい灯
 

       私がとっても 好きなもの 海辺の町で 好きなもの

            闇夜を渡る 海の声 遠く聞こえる 汐の歌


  
  5
        私がとっても 好きなもの 海辺の町で 好きなもの

            静かにただよう 霧の朝 朝焼け雲の 茜色


        私がとっても 好きなもの 海辺の町で 好きなもの

             貴方の笑顔 笑い声 明るい笑顔が 一番さ


   

  


             いすみの海
            2006年9月

      1
           砂のベッドに 寝ころべば ハマヒルガオは 微笑んで    

           ザブーン シュワシュワ 波が おどる

           ザブーン シュルシュル 風だって 歌う

           ここは大原 大漁の浜さ ウミガメ遊ぶ いすみの海さ

        
           砂のベッドに 寝ころべば チョウもトンボも 友達さ

           ザブーン シュワシュワ 愛が 芽生え

           ザブーン シュルシュル 恋だって おどる

           ここは太東 サーファーの浜さ 黒潮洗う いすみの海さ
 
        3
           砂のベッドに 寝ころべば 沖でクジラも 見え隠れ

           ザブーン シュワシュワ あしたを 語る

           ザブーン シュルシュル 夢だって 踊る

           ここは房総 岬の浜さ 夕陽が沈めば 銀河の海さ


           ここは房総 太平洋さ 朝陽が昇る いすみの海さ

           ここは房総 太平洋さ 夕陽が沈めば 銀河の海さ


 

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