2010年5月
過去の日記
5月31日

今日もいい日だ



ハマヒルガオ咲く
日在の浜を リクと散歩 
今日もいい日 最高の日和




縄張り
ビーチクリーンアップ岬の
ポスター出来た

 海岸清掃のスタッフに加わってくれている 
大原のサンキュウ印刷さんが 
無償で ポスター印刷を引き受けて下さり 
完成品を 我が家に届けてくれた
 「いつもながらありがたく 感謝です」 

大原港は5連休

「明日から ゴルフ三昧だよ・・・」
浜の漁師小屋では いつもの船長がニコニコ顔
明日から漁師たちは 一斉に休暇を取るのです
言ってみれば 大原漁師のゴールデンウイーク

 船長と一緒に大原漁協を訪問 冗談言って
ゴミ拾いのポスターも貼ってもらって・・・・




5月29日



佃の折本から舟に乗り



江戸の面影残す 燈台

 

舟上では 演芸も披露され
今夜は屋形船

 東京は 佃煮で有名な佃島から舟に乗り 
今夜は粋な屋形船 仲間の志田さんが
20年来応援しているという 
美人女優二宮さよ子さんと 隅田川を遡り

 

 二宮さんは赤坂の草月ホールで 知覧の基地から出撃して行った 若き特攻兵士たちをテーマとした 「帰って来た蛍」 という舞台の主演を務めるそうで
 7月15日が初演 熱っぽく語ってくれました。



屋形船の定番料理は ハゼやメゴチの天婦羅
和服姿の さよ子さんのお酌でイッパイ 
 駒形橋 吾妻橋 言問橋をくぐり 浅草墨提あたりでスカイツリーを眺めるのもオツなもの 隣同士となった何人かの方たちとの出会いも楽しく 
久しぶりの屋形船 江戸情緒に浸った夜でした。


5月26日



ボリスのビストロ 新メニュー
Terrence特製 
チリボール
若者たちには 受けるのでしょうか




去年 駒形夫人にいただいた
ホタルブクロが 咲き始めた
平和の鐘に見えないでしょうかネ

ボリスのビストロ

 このところ 陽気な肉食系のTerrenceも 少し
お疲れの様子 いつものようにアサヒスーパードラ
を 豪快にあおることはなくなった
「いいことだネ アフリカなノーテンキは休みにして 少しは ナーバスになりな・・・」 
そんな感じで



陽気で 豪快な海の男 
松本船長とイッパイやるのは とても楽しいことで

平和の鐘

「大原から世界に向かって 平和を発信したい」

そんな 熱き志を抱く 数人の仲間たち

「手弁当で私たちに出来ることは やりましょうヨ」
かの戦争で 心なくも太平洋を渡ったお寺の梵鐘 
今は大原へ里帰り・・・
「戦争と平和を考える とても良い材料が
大原の町には ありますからネ」

短期でせっかちな多娯作 いつもの悪い癖
能もないのに熱意に共感 動き始めてしまった・・

5月24日



アメリカで 絵本になった
 PEACE BELL
 (平和の鐘)



 かつて講談師の 田辺一鶴師匠と
ご一緒させていただいた折にも 

「平和の鐘の話を 演目として
完成させたい どなたか詳しく
ご存知の方は おられませんか?」

師匠に相談され多娯作は
とても気になっていました」
平和の鐘

 大原町には 太平洋戦争末期の 
悲しくも 感動的な実話があります。


 当時 鉄砲や軍艦など 武器を作る為の金属に不足していた日本軍は 一般家庭の金属類のみならず お寺の鐘まで供出させていたのです。
 やがて敗戦を迎え 溶解される運命にあった梵鐘は 何故か米軍によって アメリカ本土に渡りました。 終戦後9年を経て 再度生まれ故郷の大原に返還され 当時の大原町民を大いに喜ばせ 感激させたお話です。
 現在 返還を快諾してくれたミネソタ州ダルース市と 大原町は 日米友好親善都市となって この鐘は
「平和のシンボル」となっているのです。 

 この話がアメリカで絵本となり それを読み聞かせてくれる会があって 当時のことを知る地元の皆さんと一緒に 参加してきました。
 所は海鮮料理の伝九郎
 多娯作はいつものお仲間 駒形さんと仙田さんをお誘いし 雨の中・・・




5月22日



日本航空の
JALマイレージカードを開発
その道の先駆者であり多娯作の知己でもある 斉川さんがやって来て
 「このたび いすみ鉄道のポイントカードが出来上がりました このシステムを通じて いすみ鉄道再生支援を 推し進めたいと考えています」



 鳥塚社長はじめ 地元再生 町興しに関心の深い方が集まって 国吉の商工会館で説明会あり 6名の仲間を募り 
多娯作も参加してきました


 催しが終わると 斉川社長 いつもの木戸泉荘司社長 松本船長 打矢さん 雅代さんたちと一緒に これまたいつもの駒形家に押し掛け 交流の宴を・・・


「皆さん方 素晴らしいお仲間ですね」
 斉川社長も 大いに感激された様子 
何よりでした 

今夜も心地よく酔って

 「いすみの夜は 最高です」
梅屋庄吉のドキュメンタリーを見た

 BSTV NHKで 庄吉翁の足跡を拝見しました。
 思ったとおり偉大な先人 日本人のひとりとして 
誇りに思います。
 最後は三門駅で倒れられ 息を引き取ったのですが 蒋介石総統に 面会に行く途中の出来事
 とても悔やまれてなりません 合掌 

 庄吉翁のことを書いていたら 我がホームページを見て下さっている ご近所の知人が 
「5年前に主人が 梅屋庄吉について執筆 「短歌新潮」という月刊誌に掲載されたのですが 主人はいつも 庄吉翁のことを語っていました」 
 ご親切にも当時の掲載誌を わざわざ我が家まで 届けて下さいました 感謝です。
 ご主人は現在 闘病生活中なのですが 
「一日も早いご回復を 心からお祈り致しおります」


5月21日





週末のひと時 
常連のマイケルも 次々に
ビールジョッキをカラにして・・・


今日もTerrenceと

昨日に続いて今日も快晴 暑い日でした

ホテルオーツカの総支配人に連絡とったら

「Terrenceとは 長年の友人ですよ」
「それじゃお店で待ってますので どうぞ
遊びに来て下さい」



そんな訳で 今日もボリスのビストロで
総支配人からも 何かとアドバイスを頂いて


5月20日




DHV 5月22日(土)午後8時00分
ハイビジョン特集  


「孫文を支えた日本人
梅屋庄吉の生涯〜」

梅屋庄吉の生涯

 先日(5月10日)この欄で書いた 梅屋庄吉翁の
人生が 22日のNHKのBS放送で 取り上げられるらしい
 恥ずかしながら多娯作も 岬町に移り住むまで 翁のことは知りませんでした。

 1880年代に14歳で上海に渡航 事業として写真館を成功させ 孫文や蒋介石を助け
中国革命に多大な功績を残した偉人 もしも庄吉翁や 大恩ある蒋介石総統がいなければ 第二次世界大戦の敗戦国である日本は ドイツや朝鮮と同様 分割統治されていた可能性が大きいのです。
 そのあたりの歴史的事実も 
是非 確認しておきたいことでして・・・
 1934年 ここ いすみ市岬町で 
生涯を閉じたとのことですが
 
「岬町近隣に住む方のみならず 多くの方が
 ご覧になって下さるといいな」 
不肖多娯作も そんなことを考えた次第でした。

いすみ鉄道再生支援

 存亡の危機に立ついすみ鉄道ですが 
このたび ポイントカードシステムを導入したそうで 
マイレージカード サイモンズカードの生みの親である斉川氏が 22日14時に 国吉駅の会議所に来られ 改めて説明会が催されることになりました。
こちらもまた 多くの方に ご賛同 ご参加願えると
 嬉しいことでして・・・ 

いすみ鉄道の一フアン 一支援者として
5月18日



「アフリカンなやり方 
考え方ではダメだよ」 

いつも注意するのですが 
Terrennce曰く
 「アフリカじゃナイヨ 
南アフリカだよ・・・」

 陽気で気のいいTerrenceには 
カナダ人 アメリカ人 イギリス人 オーストラリア人 イタリア人 その他 多くの友がいて 皆とても彼のことを心配しているのですが・・・
 
 おおらかと言うか ラテンじゃないのにラテン的と言うか どうにもこうにも 繊細さ 計画性に乏しいのが 我ら仲間たちの悩みの種でして・・・
友と仲間と

 天気はいいのに この数日ビュンビュンと強い風が吹いてます 海辺町の特徴でしょうか
「ネェ 何してる? (娘さんが帰っちゃって)
未だ泣き暮らしてるのー?・・・」

 頭は 日光の手前だけど 
気のいい仲間から電話が入る。

 ペッシュアズーロの池田君や スカイホテルの原さん  ビーチクリーンアップの仲間たち 連日来客やら雑用有って 泣き暮らしてなんかいられない。
「私も50歳になりましたが いろいろ 
ご相談に乗って頂きたいことがありまして・・・」 

 遠い昔の かつての部下からメールも入って 
海辺のスローライフも ケッコー多忙・・・

 夜は連日Terrenceの店で 
何かと オセッカイをしている多娯作です 
「それじゃ今晩 イッパイやろう」 
 そんな訳で電話をくれた友と一緒に 夕刻から
「ボリスのビストロ」へ 既にAlbertがひとりで来ていた 彼はアメリカ人 ホットドッグメニューのアレコレを Terrenceに指導してくれるのだが 肝心のTerrenceは 未だ頭がパニックで・・・
 
我らが ジョッキで生を飲んでると 
女性サーファーが 一人でやって来た 
「お腹がすいたのですが 何か食べ物は?」 
 話をすると 彼女は医大を出たが
 「今は未だ研修医として修行中の身」 サーフィンを終え これから千葉市の自宅へ戻る途中だそうで・・・
「良かったら 我が家に泊まっていかない?」
多娯作が 水を向けると 
「危なそうだから ケッコーです・・・」 
そんな夜でした。 

 
5月16日



わが庭にアステカか 
マヤの文明で 出会ったような
そんな紋様の花が 咲き出した(右)

良く見ると 
鬼の目玉のようにも見える 

涙を流しているようにも・・・

娘が帰った

 今日は日曜日 五月晴れの風の中 
和太鼓の音が轟き いすみビーチウォーキングを盛上げている 多娯作も例年 何らかの形で参加していたのですが
 今日は行かない 
帰省していた娘が帰宅する日 残り少ない時間を
娘のために使いたいから・・・

 お昼になって 近くの駅まで送って行った
 これが永遠の別れではないと判っていても 
 いつも別れ際は辛い 可愛がっていたリクとの別れの辛さに 涙ぐむ娘の顔は まともに見られず 話し掛けることも出来ない・・・

 親の私に向かっては
「カッコ悪い」とか 
「みっともない」とか いずれにせよ 
女房とタッグを組んで その手の攻撃を 
仕掛けることが多い娘です

 ナニを言われようが 子供は子供 
 親の助けを必要としない年 遠いところへ旅立ってしまった娘との別れ いずれまた遊びにくるであろうことは判っていても 辛いものでして・・・


5月15日



ブラウンズフィールドの 子ヤギと





こちらは親ヤギ

今日も五月晴れ

いよいよ明日 帰宅することとなった我が娘 
今日は
「だるま庵」で 食事をとることにした


お昼まで チョッと時間があったので 
アイリス栽培家 さねもとさんの広大な
ガーデンを見学 見事に咲いてました
見学には 今がチャンスです



 続いてブラウンズフィールドに行ってみた 
ヤギに 二匹の赤ちゃんが生まれたそうで
 生き物大好き そんな娘は 

「もう メチャクチャ可愛い・・・」
 大喜び
子嶺麻ちゃんに会ったら 
「今ね カモをとってきたの・・・」 
どうやら合鴨農法は 今年も継続するようだ
続きは 「詩&ひとりごと」
5月 ファミリーでご近所回り 

Terrenceと


「だるま庵」で昼食 食後オーナー夫妻に
娘が サヨナラの挨拶して
 夕刻 「ボリスのビストロ」に行ったら 
「今日の午前中ネ お客さんいっぱいネ」
「それは 良かったネ」 

 マイクと谷江さん来ていたので
 
皆でしばし歓談
・・・ 未だ陽が落ちると 
半袖シャツでは肌寒い そんな陽気です
5月13日



大多喜ハーブガーデン



風光明媚 興津の海
二人の得意種目は 貝拾いと
 ガラス拾い
ファミリーで遠足

五月晴れのいい天気
 3〜4月は雨降り多く なかなか外出も 
ままならなかったのですが 
やっと5月の空になって 
我ら多娯作ファミリーも 人並みに
遠足へと 出かけました



続きは 詩&ひとりごと
5月 ファミリーで遠足

 家に戻ると 昨日 打矢さんが「ソバ打ち
教室に通って 私が打ってきました」

そう言って持って来てくれた 手打ちソバを
いただきました そこそこ美味しく・・・
「ゴッソーさまでした」
 
5月12日

今年も 多くの方のご参加
お待ち致しております




今年度も 昨年同様
こんなポスターで
進める予定でして
「ビーチクリーンアップ岬」
実行委員会


 昨夜は 岬庁舎にスタッフが集まり 
今年度実行計画を再検討 期日は7月3日 
今後 後援者各位へは ポスター チラシ等の
配布協力依頼に伺わせて頂きたく
その節は ヨロシクお願い致します


カフェ「多娯作」今日のお客は

 今日は多忙 打矢さんに 熊木さん 
それに 昔仲間の
元部下など 
入れ替わり 立ち代りやって来て 
何やら 電話も頻繁に掛かって
落ち着かない一日・・・


 夕刻 お客が切れたので 一宮の喫茶「けい」へ
 美味しいコーヒーを飲みに オーナー夫妻と
ゆっくり話をしたのは 久しぶり 

夜は気になっている Terrenceの店
「ボリスのビストロ」へ Terrenceの友達で 
カナダ アメリカ 南アフリカ人の
3人の客が 陽気にジョッキを煽っていた

 そこへ 大藪さんと 勝浦地区狂犬病の注射仕事から戻った 獣医の永野さんがやって来たので しばし歓談 Terrenceも このところ疲労蓄積 精神的にも 少しナーバスになっているので 叱咤激励 指導などしながら 結局帰宅したのは10時半 多娯作も 少し疲れた夜でした
5月10日



梅屋庄吉翁

 木戸泉酒造が 仕込み酒用の水を汲んでいる井戸は かつて 孫文を支援 中国革命に多大な貢献を果たした 梅屋庄吉さんの別荘が在った所 

 私財投げ打ち 信義に生きた偉人は 
1934年岬町で亡くなられたそうだ。
 尊敬する翁の足跡が 上海万博で紹介されて
いるらしい
 5月7日付東京新聞の第1面
掲載され とても嬉しくなりました。
ひとりでも多くの方々に読んでいただきたい
記事でして・・・


カフェ「多娯作」今日のお客は

 去年 少しばかりお付き合いがあったものの 
 信義などとは 無縁の世界で生きてきたような 
 若者グループがやって来て
 今年も何やら依頼ごとを持って来た 
「来る人拒まず 去る人追わない」多娯作ですが
 どうしたものやら
・・・

夜はスニールと


 インド人のシェフ スニールは 
多娯作と同じ 5月生まれ 
誰も祝っちゃくれないけれど せめて二人で 
「ハッピーバースデイ」

 

5月8日



ボリスの店で



都丸師匠

Terrenceと

 昨夜は雨降り 大藪さんを誘いボリスのビストロ 
アサヒスーパードライの生をジョッキで4杯・・・

 今朝は好天気 南アフリカ産ワインの品定め
駒形さんによると 
「最近南アでは 美味しいワインが作られている」
 とのことで・・・


酒蔵寄席はいつもの「木戸泉」

午後4時からは 恒例都丸師匠の独演会 
まくら噺で 去年都丸師匠を 大原沖の釣りに案内した時のことを 少し大袈裟に いつもの名人話芸で 面白おかしく語りだし 場内大爆笑
続きは「海辺の交遊録
5月木戸泉酒蔵寄席 




釣り船の上で マグロになった都丸師匠
5月6日












ウミガメも ひとりぼっちで
誕生日

「今日は お父さんの誕生日だよネ」
娘に言われ
思い出した 数日前まではしっかり意識していた
と思うのだが 当日の今朝は すっかり忘れ 
言われてから気がつく テイタラク・・・


 物忘れがひどくなったので 
何回目の誕生日かは 今でも思い出せない
 恐らく 50回は過ぎたと思うのだが・・・


「友あり 遠方より来たる また 楽しからずや・・・」
そんな詩があったと思うが 誕生日だからといって 多娯作の所にお祝いの電話一本 メールひとつなくちょっと悲しくもあって でも 当然と言えば当然でしょか 他人の誕生日を覚えていられるほど お互いに この世は暇じゃないからネ・・・

 レストラン「アスリ」のドアを開けたら ママが
 大きな声で 
「お誕生日オメデトー ワインを一本サービスするわヨー・・・」
「良かった お祝いしてくれる人がいて」
たった一人でも ホントに良かった

「イナダを持ってきなよー」
 いつものように正和丸の船長は 水揚げされたばかりの魚を 持たせてくれた 今日が私の誕生日だとも知らずにイナダを 
(こんな日は タイが欲しいのに) ひとりごと

我が家に戻ると 我が女房 
「その魚を焼いて 
お父さんの お誕生日祝いにしましょ・・・」

とても寂しい誕生日 NHKの衛星放送
ヒッチコックの スリラー映画見ながら
 ひとり焼酎・・・そんな夜でした
5月5日



ジャスミンの 芳香に
包まれた我が家です




これが旨い季節に
ゴールデンウイーク終わる

この5日間 稀に見る好天気に恵まれ 
外房の町全体が ウキウキ気分  
それでも大渋滞と言うほどではなく 例年に比べ 
少し静かな GWに感じたのですが

 穏やかな天気で 我が家の玄関デッキに絡み付けておいた ジャスミンが一斉に花開き 
芳香漂い やっと初夏らしくなって来ました。

 

 今日も一日 Terrenceの店 「ボリスのビストロ」で遊んでたら 店の前をワイルドドッグノリ君が 車で走り去ったのを見たので 電話で呼び止め 
「戻ってオイデ 遊びにオイデ・・・」 客引きです

 明日からサラリーマンは 再び戦場へと
戻って行くのですね 
「しっかりと 働きナー」 
お国のため 自分のため ご苦労サマです・・・

そこいくと我ら多娯作は 「今日も明日も
ただただ 海辺でヨタヨタしてればいいのだから
もう とっても気楽な稼業でして」
 ゴメンなさい
5月3日






年など忘れ

マダマダ人生これから
仲間の祝い

ゴールデンウイークも 3日目となって
 ここ海辺の町には たくさんの観光客が押し寄せ
交通もかなり渋滞 天気晴朗 いい日和

Terrenceの店 「ボリスのビストロ」も心配だが 
今日は 仲間たちのお祝いの集い


夕刻4時から始まった この日の会も大盛況
 皆さん 十二分に手足を伸ばし
友好を暖めあった宴でした

続きは「多娯作倶楽部」
5月 仲間の祝い 


5月2日



これは前回のポスターで



谷江さん

木戸泉酒蔵寄席は 5月8日

 今年も酒蔵寄席の季節 都丸さんは話芸の名人  
でも慣れ親しんだ芸名もそろそろ終わり 
上方伝統の桂塩鯛(かつらしおだい)を 継ぐことになり 今回の寄席でも そのあたりの経緯を 面白おかしく語ってくれるものと 今から楽しみにしている多娯作です 詳細は 木戸泉のホームページご覧下さい
http://www.kidoizumi.jp/4代目の現社長は多娯作仲間です



今日の出会いはナイスガイ

 どうにもこうにもアフリカンで ラテンで 
計画性に乏しい ヨタ友Terrennceの店を 
大いに心配しつつ 面倒見ている多娯作です
 
今朝は 早くから友人のRobertがやって来た
 彼も 「Terrenceのことが 心配で心配で・・・」 
 
続いて 近所に住み 東京や千葉まで仕事に
通っているという 谷江さんと仰るヤングガイが
遊びに来てくれた
 「明日は館山の別宅に向かう」そうだ 
こちら 我が息子のような年齢だが 
なかなかの好青年 
「いずれまた お会いしたいものだネ・・・」

3日は 多娯作仲間のパーティにつき 
ボリスのビストロには 行きません 
「Terrence しっかり ガンバリなー・・・」  
5月1日





Terrenceが生んだキャラクター
彼の名は 「ボリス」

ボリスも サーフィンをするようです 

 ゴールデンウイークが始まり 
今日は久しぶりの上天気 
 
海岸道路の128号線では 激しい渋滞を
予想したのですが 意外にも殆どそれらしき
ものは見かけず 何やら拍子抜け・
・・ 

 
ボリスのビストロ

この三日間 ヨタ友Terrenceの店の
開店準備指導をしているのですが 
あまりにも時間がタイト 備品不足等あって 
今日もオープンできず 知人 友人に
来てもらい 予行練習 リハーサル 

 やって来たのは 網場仲間の 和枝さんと 
君子さん ホットドッグを食べてもらって 
「オイシー いけるわー・・・」 「良かった」

食後は Terrenceのギャラリーテクロを
(TECHLO)見物してもらった 二人とも
絵画や彫刻には関心深いので
 
「テレンスさんは 独特のセンスをして
いるわネ 面白いわー」
 そんな感じで・・・ 



「あしたも ガンバロー
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